「組織とはトップの器量を超えて成長しない」ということを意味します。
会社なら社長、営業所なら営業所長、工場なら工場長の器量によって、その成績・実績が決まります。
組織のトップは、通常その組織の管理権限(人事・予算・目標設定等)を有します。これらの権限を駆使して、組織の目標を達成するべく、様々な活動を行います。
逆に言えば、これらの権限を持っている限り、トップは組織で起こった事象の全責任を負わなければなりません。
さらに言えば、トップは当然ながら給料が高いはずです。その理由は、当然「偉いから」というのではなく、仕事の内容が高度であり、また責任も重いからです。
組織の長という意味からすれば、例えば、たとえ「係長」という小さな組織の長であっても、その「係」で起こった事象の責任は、第一次的には係長にあるのです。
会社の社長であれば、その会社で起こったことに対して全責任を負うものです。
例えば、会社に営業本部があり、その下に営業所が3つあるとします。3つの営業所の所長がそれぞれA、B、Cの3人だったとしましょう。
あるとき、A(の営業所)は、目標を達成したが、B、Cは達成できなかった。この際、目標達成できなかったB、Cにも責任の一端はありますが、一番責められるべきは、「B、CにAと同じことをさせられなかった」営業本部長であるはずです。
さらに言えば、営業本部長を適切に指導・監督できなかった、ないしは、営業本部長を選任した社長の責任であるはずです。
ドラッカーは、こんなことを言っています。
リーダーシップとは責任である。リーダーシップについて言える第二のことは、それが地位や特権ではなく責任だということである。優れたリーダーは常に厳しい。仕事がうまくいかなかくとも、そして何ごともだいたいにおいてうまくいかないものだが、失敗を人のせいにしない。
(中略)
トルーマンが口にした「責任は私がとる」との言葉も、リーダーの本質を示していた。
(中略)
部下の失敗に最終的な責任をもつがゆえに、部下の成功を脅威とせず、自らの成功と捉える。
(実践する経営者)
注:トルーマンは、第二次世界大戦当時のアメリカ大統領