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ビジネスパーソンがが参考にするべきWEBのサイトとしては、

「日経ビジネスオンライン」

「ダイヤモンド・オンライン」

が双璧です。

私も、よく拝見しています。

その2つのサイトで本日アップされた記事のなかで、

共通の単語が挙げられていました。

それが、タイトルにも入れた「学習性無力感」です。

まず、日経ビジネスオンラインの方です。

あ、それは「会議中毒」の症状です [3]“患者”は思考停止している可能性が高い

この記事は連載物で、会社での無駄な会議を減らすこと

~「脱会議」~を提唱しています。

今回は、脱会議を阻む要因として、

会議中毒の組織は、「学習性無力感」が蔓延している、と説明しています。

長期にわたり、抵抗や回避の困難なストレスと抑圧の下に置かれると、
その状況から「何をしても意味がない」ということを学習し、
逃れようとする努力すら行わなくなる。
これが「学習性無力感」だ


早朝から会議。出張先で会議。取引先で会議。他部署と会議。
若手社員と会議。夜まで会議。入社当初は、何かおかしい、
本来の仕事をする時間が取れない、と怒って上司に何度もかけあったのに、
状況は何も変わらない。
次第にこれを普通だと考え始める。


次に、ダイヤモンド・オンラインの方です。

学習性無力感を打破し 自己効力感を高める「制度的リーダーシップ」

この記事は、企業変革をリードするためのリーダーシップについて説明しています。

その中で、組織全体に蔓延する無力感を払しょくし、もう一度やる気にさせるには、

どうしたらよいかについて言及しています。

この無力感についての説明として、「学習性無力感」が出てきます。

初めから元気がない人間はいない。

元気がないのは、その人が自分は無力であると思い知る情動的経験をしたからだ。
こう喝破したのはマーチン・セリグマンである。

セリグマンの研究チームは、ラットに、床から電気ショックを与える→停止する。
→1分後再び電撃を与える→
停止ということを80回繰り返すと、
もはやラットは檻の片隅で背中を丸めて、
電気ショックが生じても動かずにじっと電撃を受け続けている。

つまり嫌な刺激を回避しようとあれこれやっても一向に解決しないとき、
「何をしようとも状況は変わらない」ということをラットは学習したのである。

 


人間も学習によって無力感を持つようになる。
このような反応様式を「学習性無力感(learned helplessness)」と呼んだ。
学習性無力感とは、長期間にわたる挫折や失敗の経験の繰り返しによって
学習される無力感であり、通常、自己効力感(self efficacy)の著しい低下を伴う。

 


嫌なこと、理不尽なことが起こった時に、それを回避する努力がすべて無駄になった場合に、

「ああ、何をしても無駄なんだ」「何もしなくても一緒なら、いっそおとなしくしていよう」

と人は考え始めるものです。

こういった学習性無力感が生じた場合には、いかにしてやる気を取り戻せばいいでしょうか。

学習性無力感を打破するにはどうしたらよいか。
無力感が学習の結果もたらされたのであれば、
あらためて私は無力でないということを再学習させ、
自己効力感を回復させればよいことになる。
ここで自己効力感とは、特定の課題を遂行するための能力について、
本人がもつ信念である。

 


この概念の提唱者であるアルバート・バンデューラによれば
「予測される状況に対処するために必要とされる一連の行為を、
いかにうまくなしうるかについての本人の判断」と定義される。
そして自己効力感は、①遂行による習得(enactive mastery)
②代理学習(vicarious learning)によって高まる。

としている。

要するに、やればできるという自信が大事になってきます。