企業の人材が同質的であること(金太郎飴状態)はなぜいけないのでしょうか?
その答えの一つとしてライフネット生命保険社長の出口治明さんの記事に参考になりそうな部分がありましたので、ご紹介します。
失われた15年で明らかになったリーダー不在は政界だけの問題ではない
(以下、抜粋します)
欧州はコーポレートガバナンスを重視し、企業経営陣の多様性を推進することに熱心である。その象徴が女性の登用。女性役員の割当制(クオーター制)はノルウェーを始めとして、スペイン、フランス、ベルギー、オランダ等ではすでに法定され(30~40%の登用義務)、EUもEU全域を対象にした法案の検討に入った。
米国、ドイツ、フランス、英国では、女性役員比率が2010年ですでに10%を上回っているが、わが国では主要500社の女性役員比率はわずか0.98%でしかない。外国人の役員比率はおそらくもっと低い。
こうした経営陣の多様性のなさ、すなわち同質性の高さが、構造改革を拒んでいるのではないだろうか。わが国企業の経営陣は青田買いで採用され、そのまま年功序列で純粋培養された高齢の男性が主な担い手となっている。
こうした役員構成はゲームのルールが誰にでも明らかな時期(典型は20世紀後半の高度成長期)には滅法強いが、90年代以降の大変革期には、なかなか対処しきれない。年功序列社会で固く培われた同士愛的な成功体験が改革への目をくもらせている。
(抜粋終わり)
もし、あなたが企業の経営層にいて、人材の多様性がもつ重要性に少しでも気がついたならば、社内の人間を「人」として扱うべきです。
多くの社員とは違うバックグラウンドを持つ者、少々変わりものと思われていて扱いに困るくらいの人こそ、現状を打開する力を持っていることが往々にしてあります。
また、社外の人間と積極的に交流を持つべきです。もちろん社外の人間と交流を持つのは、視点を広げ独善的にならないようにするべきですから、同業他社の人間や取引先の人間などと馴れ合いで一緒に過ごしても、あまり得るものはないでしょう。
もし、あなたが管理職者であったなら、メンバーの経歴・趣味嗜好・モノの考え方・好き嫌いの判断基準などプライバシーの侵害にならない程度に知っておくべきです。
もし、あなたが一般職であったとしても、将来のことを見据えて、人間としての幅を広げておいて悪いことは一つもありません。あえて自分とは考え方の違う人間と話をして、多様な価値観に触れておくことは、きっとプラスになるはずです。
人間は変化を嫌う動物です。
同質的な集団の中で過ごす方が、異質なものに触れて過ごすよりも、10,000倍楽ちんです。意識して他人の輪に飛び込まない限り、ぬるま湯に浸かったままで無為に時を過ごすことになりかねません。